日本人と沈黙の螺旋の関係は?
そんなあなたに向けた、「沈黙の螺旋」と「日本人」の関係に特化した記事です。
結論、日本人は沈黙の螺旋が起きやすいといえます。日本人は同調圧力が働きやすいからです。
本記事では沈黙の螺旋と日本人の関係の解説のほか、日本における沈黙の螺旋の例を3つ示します。
✓本記事のテーマ
【日本人と沈黙の螺旋】なぜ我々日本人は多数派に屈してしまうのか?
✓本記事でわかること
【日本人と沈黙の螺旋】沈黙の螺旋とは/日本人との関係/ジャニーズの性加害報道/芸能人のゴシップ/ネット上の炎上/黒船襲来/第二次世界大戦など
日本人と沈黙の螺旋
1.沈黙の螺旋とは?
沈黙の螺旋とは、多数派はより雄弁になる一方で、少数派はより沈黙するという現象です。
ドイツの政治学者であるノエル・ノイマンによって提唱された概念です。
例えばA党とB党があり、あなたはA党を支持していたとします。
しかし、世間では圧倒的多数派を占めるのがB党だとします。
SNS上でもB党支持のコメントであふれ返っている。あなたがA党支持のコメントを書こうものなら、B党派の批判が集まってきて炎上しそうな雰囲気。
そうするとあなたは、次第にA党支持であることを隠すようになってきます。少なくとも、敢えて周囲に表明しようとはしない。
こう考える人が増えれば増えるほど、ますますB党支持者の声のみが雄弁になり、B党支持者がより多数派になっていく。
このような状態が沈黙の螺旋の構造です。
沈黙の螺旋の構造を語る上で、いくつか外せない前提があります。
- 人は孤立を恐れる。
- 他者に同調する人が存在する。
- 他者の意見を推測するときにマスメディアなどの影響を受ける。
この前提の上で成り立っているのが、沈黙の螺旋です。
2.沈黙の螺旋と日本人の関係
日本人は沈黙の螺旋が起きやすいといえます。
「事なかれ主義」「出る杭は打たれる」「くさい物にはふたをする」という言葉がある通り、日本には目立った行動に否定的な考えを持つ人がいまだに多くいます。
2000年ごろから「手をつないだゴール」を運動会で採用する幼稚園や学校が現れ始め、行き過ぎた平等主義が問題視されることもしばしばです。
また、「長い物に巻かれろ」「勝ち馬に乗れ」という言葉がある通り、日本人は多数派に同調しやすい傾向にあるといえます。
近年では「勝ち組」という言葉でしょうか。マスコミの勝ち組企業報道が加速したことが、就活生の特定企業への応募の偏りを生んだ現象は記憶に新しいところです。
それでは、日本における沈黙の螺旋の例を見ていきましょう。
①ジャニーズの性加害報道
BBCによってすっぱ抜かれたジャニー喜多川元社長による所属タレントへの性加害問題ですが、国連が会見をするまでの事態に発展しました。
これらの報道が過熱したのは2023年でしたが、性加害被害の報道は1960年代からありました。しかしそれらのほとんどは、噂やゴシップとして処理されています。
最も有名なのは1999年に14週にわたって週刊文春に発行された、ジャニーズの性加害特集記事です。
本記事に名誉を傷つけられたとして、ジャニー喜多川氏は発行元の文芸春秋を提訴していますが、2003年には東京高裁判決により記事の真実性が認定されています。
そして、2004年にジャニーズサイドの控訴は棄却され、文春側の勝訴が確定しています。
皆さんはこのような事実があったことをご存じですか?
おそらくほとんどの人が知らなかったことでしょう。なぜならば、これらに関連するニュースはゴシップとしてほとんどメディアに取り上げられなかったからです。文春裁判を取り上げた新聞社はわずか三社だったそうです。
このように、ジャニーズによる性加害報道は意図的に封殺されてきたという背景があります。
もちろん、2017年の強制性交等罪の改訂まで、男性の性被害は社会的に問題視されない傾向にあったことも事実でしょう。
しかしそれ以上に、マスコミや芸能関係者のジャニーズ事務所への忖度があったことは否定できないでしょう。
1960年代から2010年代ごろまでのジャニーズの人気は圧倒的で、広告収入などジャニーズ事務所の恩恵を受けていた媒体は多数あったはずです。
したがって、大切な取引先であるジャニーズ事務所に否定的な報道をすることは多くの媒体にとってメリットのない行動でした。
また、ジャニーズ所属タレントと共演NGや競合関係にあるグループが芸能界から干されたなどの噂も絶えなかったように、多くの芸能プロダクションにとってはジャニーズ事務所に忖度せざるを得ない状況でした。
まさに圧倒的多数派であったジャニーズ事務所に反旗を翻すことは、芸能界においての孤立を意味し、反論・異論を唱える空気が封殺されていたと推測されます。
これらの構図は、沈黙の螺旋の典型的なものであるといえます。
②ゴシック問題とネットの炎上
2023年、広末涼子と鳥羽周作氏の不倫問題は連日、マスコミをにぎわせました。
twitterなど各種SNS上でも、両氏に対しての罵詈雑言tweetはすさまじいものがありました。
ちなみに芸能界の不倫問題は昔から多数報道されていますが、昭和の時代はほとんど問題視されることはありませんでした。
それどころか「男の勲章」「プレイボーイ」「魔性の女」など肯定的な表現とともに報じられることもあったほどです。
芸能人の不倫問題に関する世間の目が変わり始めたのが、「不倫は文化」でお馴染みに石田純一の不倫問題でしょうか。
この頃から番組降板など大きなペナルティーが課されることが増え始めたようです。
このように、かつては許されたことが今では許されなくなることはよくあるお話ですが、発信媒体の変容が一因であるといえます。
SNSや掲示板など、閉鎖的な空間で特定個人の意見が先鋭的に取り上げられ、それが事実でなかったとしても多数派の事実として世間に認定されることがあります。
このような現象をサイバーカスケードといい、ネット上の炎上問題が典型です。
ある特定人物が炎上しているとき、その人物を肯定するコメントを少しでも発信したらどうなるでしょうか。ピラニアのごとく批判にさらされ、擁護者も炎上者に仕立て上げられるのが今日ではないでしょうか。
それゆえ、仮に異論や反論があっても口をつぐむしかなくなってしまいます。SNSの発達により、連投、複数アカウントなどで多数派を作り出すことが容易になっています。
そのため、沈黙の螺旋がより起きやすい社会になったとも考えられます。まさにサイバーカスケードの問題は、沈黙の螺旋の縮図なのです。
③黒船襲来と第二次世界大戦
1853年、ペリーが神奈川県の浦賀に来航し、鎖国中だった日本は大騒ぎになってしまいました。
この事件、日本人の外国人排斥の風潮によってペリーを追い返したぐらいに思っている人も多いと思いますが、少し様子が異なります。
黒船と称されたペリーが乗船した船ですが、日本人にとって帆船以外で初めてみる蒸気船だったため、浦賀には人だかりが連日できていました。
当初、黒船の発する祝砲や空砲を襲撃と勘違いし、大パニックとなった江戸の町人でしたが、やがて花火を見るがごとく空砲を聞くたびに盛り上がるようになりました。
やがて、黒船に乗船をしようとする者まで現れたことを問題視した江戸幕府は、警戒を促すお触れを出しました。
それとともに黒船が江戸の町を砲撃するのではないかという噂が広がり、瞬く間に盛り上がりは収束し、黒船は恐ろしいものであるというイメージが形成されていったのです。
江戸の町人にとって、江戸幕府は圧倒的な権威です。幕府の言うことは絶対です。反論や異論を唱える余地などなかったはずです。
このように歴史を振り返ると、沈黙の螺旋といえるような出来事は頻繁に起きています。
最たるものは第二次世界大戦前夜の日本でしょう。一部の軍部の主張により、開戦ムード一色となっていました。
反戦を主張した場合は非国民とされ、排除されていきました。まさに国民全体が、戦争を肯定するしかない状況となっていたのです。
自分の子供や恋人が戦争に行くときは「万歳!」と言わなくてはならず、涙を流して「行かないで」と懇願することも許されない時代でした。
以上、日本における沈黙の螺旋の事例をいくつがあげてみました。
その他の事例については「沈黙の螺旋」と「具体例」に特化した以下の記事をご覧ください。
今回はここまでです。
コメント